火事の体験談です。
以前に住んでいたマンションで一度火事に遭ったという話を書きました。
あのときは自分たちが住んでいた下のフロアで夜中に火災が発生し、慌てて起きて非常階段で皆(住民全員)で外に退避したという話でしたね。
幸いボヤで済んだため、大事に至りませんでしたが、それにしても夜中に起こされてエライ迷惑だったことを記憶しています。
そのときの火事から数年後。
今度は別のマンションで再び火事に見舞われたという、泣くに泣けないお話を体験談まじりでさせてもらおうかと思います。
*記事中に使用している写真は全てイメージ画像です
Check!!防災セットおすすめブランド【3選】
Check!!非常用の電源・バッテリー【10選】
*本サイトの記事内に広告が含まれる場合があります
真夜中に起きた火事
前回の火事から4年ほどのことでしょうか。
大学を卒業して一年目の頃、2000年ごろの2月の初旬の肌寒い季節でした。
当時はすでに別のマンションに引っ越しをしており、やはり家族と一緒に住んでいた私は、自室で翌日の仕事の準備や、ネットニュースなどをチェックしていました。
週の中頃の曜日ということもあり、前の日の仕事の疲れと、翌日の出勤のこともあったたので、そのまますぐに眠りの世界に入っていったと思います。
就寝してしばらくたった時のこと。
何かの大きな音で目覚めた私は「なんだ?」という感じで、布団の中からモソリと起き上がって周りを見渡しました。
部屋の中は電気を消していたので暗がり状態でしたが、窓のカーテンの隙間からうっすらと月明りが入ってきていたので、少しはボヤっと全体像を確認することはできました。
寝ぼけ眼で周りを見渡すにつれて、異変というか、音の原因は自分の部屋の中にないことを徐々に理解し始めていた私は、そこでようやく窓の外で何かが起きていることに気づいたのです。
ゆっくりと起きて立ち上がり、そのまま窓の方に歩いていくと、カーテンの向こう側で明らかに大勢の声が聞こえてきたのでした。
「住民の方はすぐに退避してください!すぐに退避してください!!」
防音ガラス越しにもはっきりと聞こえるその声は、明らかに「火事」または何かの異常事態が外で起きているということを示していました。
「なんだ?!」
慌ててカーテンを開けると、窓のはるか下に数台の消防車が集まってきており、消防隊の赤い制服が数多く動いている姿も確認できるではないですか。
(なんだ?また向こうのマンションが火事か?)
すぐにそう思いました。
というのも、それまで道路を隔てて2つほど建物を挟んで向こう側にある別のマンションは、しょっちゅう火災報知器がブォンブォン鳴って、夜中だろうが朝だろうが所かまわず「火事です、火事です」という自動音声が近所に響き渡ってきた経緯があったのです。
引っ越して最初の頃は「うわっ!」と飛び起きて外を見ていましたが、慣れてきてその音声だと分かると、チラリとカーテンを開いて特に異常がないことを確認し、すぐにそのまま耳栓をして寝ていたものでした。
猫か子供のいたずらで簡単に防災装置が反応するということを、近所の噂で聞いたことがあり、毎回その大音響が鳴って消防車が駆け付けるたびに「本当に迷惑だなあ」と呆れかえっていたことがあったのです。
このときも自室の窓の下の「住民の方はすぐに退避してください!」という消防隊の拡声スピーカーの大音量は、きっとそのマンションが原因で、今度は消防隊が大勢来てるのを見ると、どうやら本当に火事になったのかもしれないな、と呑気に思っていました。
もっと詳しく見ようと、窓に顔を貼りつけて下の道路を確認(私の住んでいたフロアは12階でした)したとき・・・
「違う!!」
体中に緊張が走りました。
窓の下方で叫んでいる声、それは確実に私のマンションの方に向かって音が向かってきていることに気づいたからです。
スピーカーからの声はかなり緊張感に満ちており、その緊張がそのまま音の波動を伝って、私の住むマンションの住民に向かって投げかけられているという不測の事態を瞬間的に悟ったのでした。
「これはまずい!」
一気に目が覚めた私は、慌てて部屋を飛び出して居間に行き、まだ寝ていた両親を叩き起こして「火事やで!火事!」と伝えると、同時に居間にあった防災スピーカーから「火災が発生しましたので、住民の方は直ちに退避してください」という防災センターからの音声が大音響で流れ始めました。
これで完全に目覚めた両親は、急いで起きて服を着替えはじめ、それを見届けた私も再び部屋にダッシュで戻って、寝間着から普段着に速攻で着替えて貴重品を体に身に着け、さらに近くにあったリュックに必要最低限の仕事上の書類や保険証、目についた防災用品などを放り込んで、部屋を出て居間に戻りました。
その間、およそ5分。
鍛えられた特殊部隊員のように我ながらスピーディーな動きだぜ・・と瞬間的に自画自賛していましたが、すぐにそんな余裕は吹き飛んで、両親の貴重品や持ち出し物の入れ込みを手伝い、そしてそのまま二人の背中を押して靴をはいて部屋の外に出ました。(もちろん鍵はかけました)
外の廊下ではすでにご近所の部屋の方が外に出てエレベーターを待っており、それを見た両親が、近くにいた隣の部屋の住人の方に「たぶんこのまま待っていても、なかなか降りてこないから、非常階段で下りましょう!」と声をかけて皆で階段で階下に降りることにしたのでした。
(さすがは経験者、慣れているな!)
4年前の火事とほぼ同様のシチュエーションだったこともあり、母親も父親も以前よりは手慣れた様子でご近所さんを誘導して非常階段に向かう姿を見ながら、グッジョブサインをひそかに親指で作っていました。
もちろん私も経験者ではありましたが、今度の火事はどこの階で発生したのかが分からなかったため、火災発生場所のフロアが自分たちの住むフロアの上か下かで、炎の進んでくる方向が変わってくるという危険性と緊張感はそのときも感じていました。
(下だったらヤバいな)
火事が下のフロアで発生していたら、もしその火が大きいものだったら、非常階段にまで押し寄せてきていたら、おそらく私たちに逃げ場はありません。
むしろ屋上にまで逃げるか、部屋に戻って窓の外から消防隊の救出を待つ以外に方法はなくなる、そのときは本気でそう思っていました。
窓の外で叫んでいた消防隊のあの本気度の非常に高い叫び声は、今回の火事が尋常でないレベルであることを直感的に私に確実に示していたのです。
そんな超がつくぐらいの不安を抱えつつ、私と両親、そしていつの間にか私たちの後をついてきていたフロアのご近所さんとともに、非常階段の扉に手をかけて階下に向かって進んでいくのでした。
再び非常階段
(前回の火事と同じじゃないか・・)
階段を降りながら、私は4年前のことを思い出していました。
あのときも夜中にインターホンで叩き起こされて家族全員で非常階段から降りていったこと・・・
当時は火災のあったフロアが階下という情報を階段を降りながら知って、かなりの緊張を伴いましたが、今回もそれと同様に、いや、外の消防隊の尋常でない緊張感の叫び声と集まった消防車の無数の台数から考えると、かなりの大火災であることが想像できたため、もし階下だったら死ぬな、と本気でそう感じながら、階段を降りていきました。
前回同様に上のフロアからも大勢の住民が着の身着のままで降りてきている姿、私たち家族も同じように一言も話すことなく黙々と降りていく情景を目の当たりにしながら、まるで時間が停まったように感じながら、ふと「今度はおばあちゃんがいないんだな」と思い出しました。
(あのときは祖母ちゃんを背中に背負って、結構キツかったな・・)
足が悪かったため、階段を降りれずにいた祖母を「何してるの!後ろから人が来てるから!」と無茶を言って祖母を叱る母親を制し(おそらく母親も取り乱していたのだと思います)、「俺が背負うから!」と躊躇する祖母を背中に背負い、意外に重かった祖母の体に四苦八苦して「なんのトレーニングなんだ、これはっ!」と心の中で叫びながら、ゆっくりと降りて行ったこと。
そのときに下から上がってきた消防隊の方が「大丈夫ですか?」と声をかけてくれ、頑張りますと答えると「ご苦労様です!」と言って手を頭上に掲げて敬意を示してくれたこと。
4年前までは一緒に住んでいた祖母でしたが、それから2年後に新しいマンションに引っ越してから体調を崩し、老衰で亡くなっていたこと・・・
そんな色々な昔のことを思い出しながら、(今思えば、いい思い出だったなあ)などと昔を懐かしむ爺さんのような心境で、トボトボとなかなか前に進まない避難の列を前に見て、私と両親はただ押し黙りながら、前を向いていました。
私たち家族と同様に、他の住民の方も皆、押し黙って黙々と階段を下に降りていくだけです。
非常階段の天井には電気が煌々とついているので、明かりは十分でしたが、場を支配している空気感は明かりと反対に非常に重いものがありました。
上も下も大勢の避難住民が詰まって、遅々として進まない状況の中、再び前回同様に階下から消防隊の列が駆け上ってくるのが見えたのです。
(おおお!救いの神だ!)
一瞬で気が晴れたような気分になりました。
消防隊が来るということは、自分たちは助かるんだ、全く根拠のない考えですが、不思議と彼らを見た時に直感的にそう思ったのです。
しかし、前回と異なるのは、消防隊が私の横を駆け上っていくときに見た彼らの消防服が、黒いすすで汚れており、明らかに消防活動があったことを示していたことでした。
(なんだか怖いな・・)
階下で消防活動を行っていたなら、それは炎が下から上がってくるということ。
でも彼らが駆け上がっていくということは、下の階の鎮火は済んでいるということか・・
様々な思いが胸の中で湧き上がり、不安と安心が交互に揺れていきます。
情報が全くないため、推測でしか物事を判断できないという状況は、正直、かなり苦しいものがありました。
とはいえ、私たち住民ができることは、ただ階下まで降り切って、マンションの外に退避すること。
それ以外に方法はないのです。
湧き上がる得体のしれない不安を抱えながら、私は皆と一緒にゆっくりと進む列の歩みに集中し始めたのでした。
マンションからの脱出
そうして進むこと約20分。
いや、正確に時間は分かりません。
あくまで体感時間であり、実際はもっとかかったのかもしれません。
想像以上に長い時間感覚の中でようやく一階フロアの扉を出た時、ホッとすると同時に、前回同様に玄関前のフロアにそれまで見たこのとない数の住民で溢れかえっているのが見えました。
(朝の出勤ラッシュみたいだ)
そう感じたくらいに、普段の閑散とした玄関前からは想像できない人の数でした。
つまりそれくらいの人数が、この25階建てのマンションには住んでいたということになるのでしょう。
そうしてようやく危機を脱した私たち家族は、そのまま消防隊の誘導のままにマンションの外に出て、道路を挟んだ向かいの歩道にまで避難しました。
夜中の2時を過ぎていたこともあってか、辺りは当然真っ暗で、さらに2月の初旬ということもあり、とんでもない肌寒さがありました。
一応持ってきたジャケットで体をくるみながら、マンションを見上げると、そこには激しく溢れ出る炎が見えました。
「キャアッ!」
周りではその炎の様子を見て叫ぶ女性の住民もいました。
その炎の出どころは、私が住んでいた12階よりさらに上の階でした。
消防隊がはしご車でその付近で必死で消火活動を行っている姿も見えます。
マンションの背後では星に輝く夜空が広がっており、またそれがオレンジ色にゆらめく炎とマンションの白い壁との対比で、より一層目に焼き付く情景となって真上で広がっていました。
私と家族は茫然としてその様子を眺めていましたが、私たちにできることは何もなく、かといって先ほどから寒さが尋常でないレベルで体を覆い始めていたので、
「とにかくどこかに移ろう」
と言って、近くの公民館にまで行くことにしました。
すでに公民館では消防隊や警察の知らせを受けて、夜中だったにも関わらず、住民の避難のために解放してくれていました。
中は暖房で温かく、コーヒーやお茶も提供してくれていたので、私たち家族も感謝しながらお茶を頂き、なんとか寒さをしのぐことができました。
そこで30分ほど滞在した後、消防隊の方が入ってこられて「鎮火しましたので、住民の方は戻られて大丈夫です」と言われたので、そこにいた住民一同はホッと顔を見合わせて、皆でマンションに戻ることにしたのです。
戻った先のマンションの下では、まだ大勢の消防隊や警察が作業を続けているのが見えましたが、上を見上げると、30分ほど前に見えた上層階の一室の炎は消えていて、そこには真っ黒にすすけた白いベランダ部分が見えただけでした。
そのまま家族と共にマンションのフロアまで戻ると、そこで母親が見知った知り合いのご近所さんと話し始めたので、私は父親とともにエレベーターで自室まで戻ることにしたのでした。
帰還
フロアに戻ると、当然そこはいつものエレベーター前の風景が広がっているだけでした。
二人とも黙って部屋の扉に鍵を入れて開けると、出てきたときと同じ情景の部屋に入り、とりあえずそれぞれの部屋に戻って服を着替え始めました。
時計を見ると、すでに夜中の3時半。
火事発生が2時ごろだったので、すでに一時間半も外でいたことになります。
「きっついなー」
私は天井を見上げてため息をつきました。
2時間後の5時半には、いつものように職場に向かって家を出なければなりません。
あと2時間寝れるかな・・と思いながら、とりあえず部屋着に着替えて居間に戻ると、そこでは父親がすでに寝間着に着替えて寝る準備に入っていました。
(さすがは熟練のサラリーマン。悩むこともなく、すぐに忘我の境地に入ることができる歴戦の猛者よ)
あんなことがあったのにすぐに寝入ることができる父親の寝入りの良さ、いくら私よりは遅い時間の出勤タイムとはいえ、火災で避難という非日常の行動で気分が高揚することもなく、平然と普段の行動に移せるその冷静さは、さすがに40年近くも休まずに社会の最前線で戦い続けてきただけのことはあります。
そんな父親の兵士のような態度に驚嘆しつつ、俺はまだまだだな~といって、ポットからコーヒーを淹れて飲みながら、あと数時間後に迫る勤務のことで気分を滅入らせつつ、結局そのまま出勤時間まで起きて職場に向かったのでした。
翌日。
職場から帰宅した夜に、母親に前日の火事のことを聞くと、以下のような情報を教えられました。
・出火は18階(私の部屋は12階)
・部屋の中で火災が発生した
・その火事で中に住んでいたご家族の一人が亡くなった
・出火原因は不明
・部屋はほとんどが焼けたため、リフォームが必要
とのことでした。
「亡くなったのか・・・」
その報を聞いて私は唖然としました。
まさかあのときのあの火事で死者が出ようとは・・・
出火とは無関係とはいえ、自分たちも渦中にいた火災だけに、なんとも言いようがない気分になりました。
私はその火災の結果を聞いてから、翌朝の出勤時に再び火事のあった部屋をマンションの下から見上げました。
前日と同じように真っ黒にすすけたベランダの壁面。
隣の部屋のベランダにまで広がったそのすすの黒さは、まさにあの時の火災の広がりを示しているように見えました。
私はその場で目を閉じ、そっと手を合わせて亡くなった方の冥福をお祈りしたのでした。
その後
想像を越えた被害をもたらしたマンション火災。
まさか人的被害が出ようとは想像もできませんでした。
自分たちがあの夜にマンションの下から見上げた、ベランダから溢れるように燃え盛った炎の奥で、ひょっとしたらエレベーターや玄関先で会っていたかもしれない住民の方が亡くなっていたということ。
阪神淡路大震災の当時も自分の周りで亡くなった人の話は聞いていましたが、それでも自分はその現場に居合わせず、後に聞いた話ばかりでした。
この時の火災ではそれをリアルタイムで遭遇してしまったという衝撃・・・
自分でもびっくりするくらいに、そのことがショックだったことを当時から20年近く経った今でもよく覚えています。
やがて時が経つにつれて火災の原因らしきことが徐々に明らかになっていました。
どうやら夜遅くに帰宅した旦那さんが、キッチンで料理をしようとガスコンロの火をつけたところ、それがなぜか服に燃え移ってそのまま部屋の中まで燃え広がったということ。
夜中の2時になってキッチンで料理をしようとしていたのも理解に苦しみますが、最大の謎が、なぜガスコンロの火が服に移ってしまったのかということ・・・
それが本当にガスコンロによる引火だったのか、もしかして別の原因だったのか・・
その話も住民の方が消防隊に聞いたという噂話を母親が耳にしたことなので、本当のところはよくわかりません。
いずれにせよ、その方が亡くなった後、残されたご家族もすぐに引っ越していかれました。
結局、その部屋は一年以上もリフォームのために使用ができず、さらに消火活動で大量の水が部屋の中に入ったため、隣の部屋と階下に水が伝って漏れるという二次災害も起きたため、マンション全体がしばらくはてんやわんやな状態になっていました。
その後、私は別の場所に越したので、そのマンションがどうなったのかは分かりません。
ただ火災から一年後くらいには、火事の起きた部屋はリフォームされて、一年間近くすすけていたベランダの壁も白く塗り替えられたということは両親から聞きました。
あの部屋は完全に事故物件になってしまったので、その後借り手が見つかったかどうかは不明です。
いずれにせよ、火災が起きてしまうと、発生した部屋だけでなく、その周囲の部屋や建物、もしくは建物全体にまで後々に修繕だったり、リフォームだったりが必要となることがあり、つくづく火事というのは想像以上に広範囲に周りに被害をもたらすのだなと実感させられた災害体験でした。
まとめ
一番良いのは火事を起こさないこと。
都市ガスならガスの元栓を使わないときは必ず締める、冬場にストーブを使う家庭なら、転倒したら火が消えるタイプを使う、高齢者が住む家庭であれば、オール電化にする(少しでも火の消し忘れの危険性を減らす)など、可能な限り火災の危険性を減らすことが自分や自分の家族だけでなく、近隣住民の生活の安全につながると思います。
皆さんも、どうかくれぐれも火元には気をつけてくださいませ。
【火災体験談】自宅マンションが火事になった時の話
続きを見る
火災に強いマンションの条件について【実体験ベース】
続きを見る